深夜タクシー

大阪の街を走る深夜タクシーとお客様の一期一会の物語

帰省〜仕事納めの日に〜

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堺筋道修町漢方薬の大看板

 いよいよ大移動が始まり出した。年の瀬の十二月二十九日、週末の金曜日と重なって、大方の会社は仕事納めだ。仕事の片付いた者、片付かない者も「よいお年を」と声を掛け合って一人二人職場を後にする。

 名の通った製薬会社が軒を連ねる薬問屋の町、道修町(どしょうまち)。堺筋に面した漢方薬の大看板の傍からその男性客は乗ってきた。見るからにメタボリックな男の両手には、膨れた書類カバンと紙袋。袈裟懸けにしたショルダーバッグも背広の肩に食い込んでいる。身体の大きさと荷物の多さに、こりゃ乗り込むのも一苦労だ。ガシガシと力任せにねじ込んで、「新大阪、お願いします」と行き先を告げた。シートに身を沈めても、しばしはあはあと息が苦しそうだ。もう少し痩せた方が身のためだと思うが、終わらない仕事とストレス、自ずと深夜になる晩飯と寝酒のアルコール。いずれかをやめない限り、体重は、増えることはあっても減ることはない。と、客のプロファイルを始めるが、想像の域でしかない。

「かしこまりました。…お荷物多いですね、今日でお仕事納めですか」

「いやぁ、もう無理やり納めてきちゃいましたよ」

「キリがありませんか。なにはともあれ、一年お疲れ様でした。新幹線など列車のご予約はございますか」

サンダーバード、チケットはこれからです」

「北陸ですか」

「うん、金沢に。この正月は帰らんつもりやったけど。姪っ子が一人、おりましてね。この前のクリスマスに、欲しがってたランドセル送ってやったら、本人うれしかったんか、それを見に帰れ見に帰れってしつこく言うんで」

「ランドセル姿見てほしいんでしょう。可愛いでしょうね」

 聞くと、故郷に住んでいた兄夫婦が、数年前に、交通事故で亡くなった。一人残された娘は、実家の祖父母が引き取って育てている。誕生日やらクリスマスには、忘れずに何か喜びそうなものをプレゼントしてやっているという。

「あれは、義理の姉さんに似たのか可愛くできとって。私によく懐いてくれるんでねぇ」

 堺筋北浜から新大阪駅に向かうには、新御堂筋、通称「シンミ」に乗るのが早い。大阪市内と千里インターを南北に結ぶ大動脈だ。西天満左折二レーンの車列がスルスルと交差点を曲がっていく。夜空に続く滑走路のような進入口を上り、梅新東で右にカーブして北上すれば、あとは新大阪駅まで一直線だ。曽根崎から大阪駅が見えるとすぐ左手に、HEPの観覧車が赤く街中にそびえ立つ。

 荷物に挟まれ、シートに埋まりながら、静かに観覧車の方へ目を向けていた客は、

「道が混んでなくてよかった。九時前のに乗れそうかな」

「そうですね、仕事終わりにラッキーですよお客様」

「グフー」身体から一気に張り詰めていたものが漏れ始めたように吐息をつく。

「こうやってタクシー乗ったらやれやれですわ。年越しはいろいろせわしなくて、わたしら、バタバタするばっかりで」

「年越しはどうしてもね。でも、今日で今年のことはリセットです。いなかへ帰れば、お正月は美味しいもの食べて、家族とゆっくり過ごせます。なにより可愛い姪御さんが待ってらっしゃるし」

「うん、そうだ」

 新淀川大橋を渡るあたりは、もう街中の喧騒はない。淀川下流域の暗闇が静かに横たわっている。橋を渡り一番右の車線から大阪メトロ新御堂筋をまたぐ高架橋を登って、新大阪駅の車寄せに進入する。

「ご乗車お疲れ様でした。****円でございます」

 車を停めて振り返ると、紙袋に入った包みに、ピンク色のリボンが見えた。自分の帰りを待っていてくれる幼い家族へのお土産なのだろうか。

「お忘れ物にご注意くださいね」

  座席に沈んで埋もれていきそうな身体を、引きづり出すようにして、客は降りて行く。

「よいお年を」

「運転手さんもね」

 コンコースへ吸い込まれる男の背中がまた息を吹き返した気がする。待つ人のもとへ帰るんだね。

  駅に着いてからも北陸行きの発車まで忙しい。駅構内の売店で持ちきれないほどの土産を買い、目当てのホームに滑り込まなければならない。

 疲れた身体もお土産も一緒になって揺らされて、一眠りすれば、そこはもう懐かしい場所なのだ。